ダダイズムとシュルレアリスム

ダダイズムとは

20世紀の前半(1916-25頃)に、主にヨーロッパやアメリカで起こった芸術運動。

根底にある思想は今までの価値の否定であり、それを詩や芸術を通して体現した総合的な芸術運動だった。きっかけは、第一次世界大戦の戦火を逃れてチューリッヒに集まっていた、数名の芸術家たちによってはじまった。

よく比較されるダダイズムとシュルレアリスムだが、一言で違いを言うと、ダダイズムは「破壊の芸術」、シュルレアリスムは「創造の芸術」と定義される。

<第一次世界大戦の影響>

第一次世界大戦の真っ只中、芸術家たちは世間に対する強い虚無感とある種の高揚感を抱き、そのエネルギーを芸術にぶつけた。

世界を舞台にしたこれだけ大きな戦争は人類史上はじめてで、彼らはその原因の本質が、ヨーロッパの文化的な価値観や既成概念にあると考えた。そういう諸悪の根源となるものを、あらゆる表現手段を使って否定し、思いっきり破壊しようとした。

ダダイズムのエネルギーは、ちょうど同じ時期にベルリン、パリ、NY、東京で起きていた美術運動と呼応し、世界に広がる一大ムーブメントとなった。

ヨーロッパのダダイズムは、1920年代の半ば頃になると、メンバー同士の対立によってシュルレアリスムなどへ分裂していった。

NYダダを代表するマルセル・デュシャンの思想は、のちのコンセプチュアル・アートやポップアートなど、第二次世界大戦後の現代美術にかなり大きな影響を与えている。

<ダダイズムの特徴>

・今までの価値の否定

・意味の破壊

・反芸術

・ニヒリズム

「ダダは何も意味しない」「私は良識を嫌悪する」「破壊と否定の大仕事をなしとげるのだ」トリスタン・ツァラ「ダダ宣言1918」より

 

ダダの先導者

トリスタン・ツァラトリスタン・ツァラ
1896-1963(満67歳没)
ルーマニア出身、フランスの詩人

ツァラが「ダダ宣言」をしたのは20歳のときで、当時はまだチューリッヒ大学に留学中の学生だった。のちにブルトン(シュルレアリスムの創始者)と対立してしまい、ダダ、シュルレアリスムの運動からは離れる。

第二次世界大戦が始まると、パリに残ってレジスタンスに参加してドイツとたたかい、終戦後はサルトル、ボーヴォワール、ロブ・グリエたちと合流して、アルジェリア独立戦争の「121人宣言」に加わった。

チューリッヒ・ダダは同時代のムーブメント(ベルリンダダ、イタリア未来派、ロシア・アヴァンギャルドなど)とは違ってノンポリとみなされていたが、ダダと決別したあとのツァラは、コミュニストとして積極的に政治活動に参画している。

ツァラはアフリカやオセアニアの黒人芸術、黒人詩篇に関心を寄せ、プリミティブ・アートを愛好していた。その影響は彼の作品にも投影されている。

 

ツァラの自宅を設計した建築家「装飾は罪悪である」

アドルフ・ロースアドルフ・ロース
1870-1933(63歳没)
オーストリアの建築家

ウィーン分離派はこちら→

 

NYダダ コンセプチュアル・アートの父

マルセル・デュシャンマルセル・デュシャン
1887-1968
フランス生まれの美術家
via The Brooklyn Rail

徹底したダダイスト。既成品をそのまま、または、少し手を加えただけのものを作品とする「レディ・メイド」の作品を数多く発表した。墓碑銘には「死ぬのはいつも他人ばかり」と刻まれている。

マルセル・デュシャン 泉
The Fountain R. Mutt,1917
マルセル・デュシャン ガラス
The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even,1915-1923 ©︎ richard winchell on flickr
マン・レイ撮影のポートレイト ローズ・セラヴィ
Duchamp as Rrose Selavy

“ローズ・セラヴィ”とはデュシャンの別の人格の名前。写真は女装したデュシャンで、撮影はマン・レイ。

「自分の人格を男性から女性へ変えようとしたのではなく、男性と女性の2つの人格を同時にもとうとした」

 

ダダから派生したインスタレーションの先駆け「メルツ・バウ」

クルト・シュヴィッタースクルト・シュヴィッタース
1887-1948(満60歳没)
ドイツの芸術家・画家

シュヴィッタースは、ダダ、構成主義、シュルレアリスムの流れをとおった人物。

Merzbau,1923-1937 Kurt Schwitters ©︎Kurt Schwitters

自宅の内部に、ゴミや石膏による立体幾何形態をギュウギュウに配置した作品。ナチスにより破壊され現存しない。機能不全の空間。参考tatemodern.uk

 

シュルレアリスムとは

1920年代、ダダイズムの思想を受け継ぎながら、そこから派生した芸術運動。

ダダの元メンバー、アンドレ・ブルトンが提唱者。

フロイトの精神分析学の影響が色濃い。

絵画では主に2つのスタイルがあり、ひとつは「オートマティスム(自動筆記)」やコラージュを使った表現で、潜在意識を浮かび上がらせるタイプ。エルンスト、ミロなど。

ふたつめは「ディペイズマン(意外な組み合わせ)」やだまし絵などの手法で、現実にはありえない超現実的な光景を、写実的に描くタイプ。ダリ、マグリットなど。

<政治との結びつき>

多くの画家たちは、ブルトンの独裁性や、政治との結びつきを嫌って運動から離れていった。

1929年の世界恐慌による大不況と、第二次世界大戦前の閉塞感が世の中を覆い、新しい何か、希望を求めるように社会主義ブームが過熱すると、多くのシュルレアリストたちが共産党へ入信していった。

<シュルレアリスムの特徴>

・フロイト精神分析学

・無意識、夢、催眠

・デペイズマン、オートマティスム

 シュールレアリスムとは理性による支配をまったく受けず、あらゆる美学や道徳的先入観の外側で記述された思考である アンドレ・ブルトン「シュールレアリスム宣言」より

 

シュルレアリスムの創始者

アンドレ・ブルトンアンドレ・ブルトン
1896-1966(満70歳没)
フランスの詩人、文学者

元ダダのメンバーで、シュールレアリスムの提唱者。1920年代に入ってからツァラと対立しダダと決別する。破壊から離れて、創造へ向かった人。

ブルトンはもともと医学部の学生だった。1915年に衛生兵として対ドイツ戦に徴兵され、戦場で精神異常をきたした兵士の治療にあたった経験をもつ。そこでブルトンは、人間のうちにある精神の深層を目の当たりにし、これをきっかけにフロイト理論や精神分析に傾倒していった。

<シュルレアリスムに影響を与えた「形而上絵画」>

キリコの「形而上絵画」はブルトンに強い影響を与えた。その影響はフロイトの精神分析学と結びつき、シュルレアリスム宣言の源泉となっている。

ブルトンは、のちに古典へ回帰したキリコを「シュルレアリスムの裏切り者」と呼んで非難した。

ジョルジュ・デ・キリコ 形而上絵画
Mystery and Melancholy of a Street,1914 Giorgio de Chirico

シュルレアリストの絵画

マックス・エルンスト セレベスの象
The Elephant Celebes,1921 Max Ernst
ルネマグリット 失われた騎手
The lost jockey,1926 Rene Magritte
記憶の固執 (柔らかい時計) サルバドール・ダリ
The Persistence of Memory,1931 Salvador Dali
ポール・デルヴォー スピッツナー
The Musee Spitzner,1943 Paul Delvaux
イヴ・タンギー 無限の分裂
Indefined Divisibility,1942 Yves Tanguy
エドガー・エンデ 無限ライン
Linie unendlich,1951 Edgar Ende

 

ブルトン、ピカソが賞賛した理想宮

シュヴァルの理想宮シュヴァルの理想宮
1879-1912 フランス
設計:フェルディナン・シュヴァル
出典:wikipedia

建築の専門教育を受けていないおじさんがつくったセルフビルドのお城。完成まで33年もかかっており、シュヴァルはこの城を建てることをライフワークとしていた。

この壮大な建築物は、アンドレ・ブルトンやピカソ、ニキ・ド・サン・ファル、ジャン・デュビュッフェなど、多くのアーティストに称賛されている。さまざまな時代や地域のスタイルが混雑していて折衷主義と重なる部分も多い。ブリコラージュ的な建築。

 

元祖シュルレアリスム

快楽の園 ヒエロニムス・ボス
The Garden of Earthly Delights,1510-1515 Hieronymus Bosch

カトリックの説く天国や地獄を具象的に描いたもの。

ボスは空想的で奔放な表現を好み、同時代の画家たちとは違う風変わりな存在だった。シュルレアリストたちによって、20世紀初頭に脚光を浴びることとなった作品。

我が子を食らうサトゥルヌス ゴヤ
Saturn Devouring His Son,1819-1823 Francisco Goya

この絵はゴヤ自身の深層心理を描いたもので、シュールレアリスムの先駆けとも言われる。

ゴヤはマドリードの郊外に「聾者の家」と呼ばれる別荘を購入している。そこに飾られた14枚の壁画は黒い絵と呼ばれ、「我が子を食らうサトゥルヌス」はその中の一つ。

 

ネオダダ

ヨーロッパのダダイズムから派生した、1950年代後半から1960年代のアメリカで流行した美術運動を。作品に込められる意図や、制作方法など類似点が多い。

標的と4つの顔 ジャスパー・ジョーンズTarget with Four Faces,1955 Jasper Johns
by Wally Gobetz

石膏で型取りされた鼻や耳が、標的の上にはめ込まれている。彫刻的な要素が加わって”物”としての要素が強くなる。

 

ネオダダの日本への影響

東京ではネオダダの影響を受けた「ネオ・ダダ・オルガナイザーズ」という前衛芸術グループが結成された。アメリカのネオダダと直接的な関わりはなかったが、即興パフォーマンスや意味をなさない行動など、既成概念を破壊する活動じたいを芸術表現とした。

新宿ホワイトハウス 磯崎新新宿ホワイトハス
1957 新宿
設計:磯崎新
by Kenjikono

ネオダダのメンバー吉村益信のアトリエ兼住宅。

荒川修作 マドリン・ギンズ 奈義の龍安寺 太陽の部屋遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体,1994
作者:荒川修作、マドリン・ギンズ
by cotaro70s

この作品が内蔵されている奈義町現代美術館の設計は磯崎新。

荒川修作 マドリン・ギンズ 養老天命反転地養老天命反転地
1995 岐阜県養老町
作者:荒川修作、マドリン・ギンズ
by rono23

30年間の構想の果てにいきついた、”肉体を再認知させる”ための場。計算しつくされた構造が、人間の持つ遠近感や平衡感覚をくるわせる。

天命反転=「死なないこと」の実現。死への反発。

 

関連書籍

『ダダ・シュルレアリスムの時代』,塚原史,ちくま学芸文庫,2003
『言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の20世紀』,塚原史,講談社現代新書,1994
『装飾と犯罪―建築・文化論集』,アドルフ・ロース(著),伊藤 哲夫(翻訳),2011
『シュルレアリスム辞典』柏木博(監修),ディディエ・オッタンジェ(編集),遠藤ゆかり(翻訳)

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