産業革命と建築

産業革命とは

18世紀のなかばに、イギリスではじまった産業技術のイノベーション。これによって社会構造が大きく変化した。

生産システムの変化によって、ひとつの国がひとつの経済圏をもつこととなり、やがて資本主義社会が成立する。

重要なのは、これによって「都市」というものが設計されるようになったこと。農民が工場労働者へと変わったため、大量の人々が都市へ移り住んだ。産業社会の成立によって階級対立(資本家と労働者)がおき、労働問題などさまざまな社会問題もうまれることになった。

<産業革命の二段階>

・第一次産業革命:18世紀なかば~(イギリス)

おもに軽工業→職布、紡績
民間主導

・第二次産業革命:19世紀後半~(イギリス以外にもドイツ、フランス、アメリカ)

おもに重工業→鉄鋼
国家主導で、科学技術がからみおおきく飛躍した

技術革命×動力革命×交通革命の3つが相互に関連しあうことで大きく発展した。

 

新しい材料を使った建造物

鉄じたいは古代から利用されてきたが、18C後半になって大量生産が可能になる。

それによってはじめて建築の主な構造材として使えるようになった。当時建築に使われたのは鋳鉄(溶かした鉄を鋳型に流し込んでつくる)。マテリアリズム。

アイアンブリッジ アイアンブリッジ
1779 イギリス シュロップシャー コールブルックデール
設計:プリチャード
via wikipedia

<ロンドン万国博覧会の会場,1851>

クリスタル・パレスは、1851年開催のロンドン万国博覧会の会場として建てられた。当時の上流階級のあいだでは、異国の動植物をコレクションすることが流行していて、そのための庭や建物をつくる技術者が人気だった。ジョセフ・パクストンもそのひとり。

ガラスユニットをプレハブ化して組み立てる方法で、作り方はゴシック建築に近い。9ヶ月のスピード工事で、仮設建設の先駆け。

クリスタル・パレス 水晶宮
The Crystal Palace in Hyde Park for Grand International Exhibition of 1851

クリスタル・パレス(水晶宮)
1851 イギリス ロンドン
設計:ジョセフ・パクストン(造園家)

Crystal Palace – Queen Victoria opens the Great Exhibition

 

オックスフォード大学の自然史博物館オックスフォード大学 自然史博物館
1861 イギリス オックスフォード
設計:ウッドワード
via wikipedia

 

エッフェル塔エッフェル塔
1889 フランス パリ
設計:G.エッフェル

 

企業都市「モデルヴィレッジ」の建設

<人口増加による、居住環境の悪化>

医学の進歩や農業技術の進歩によって人口が爆発的に増え、あまった人々は都市部に流れて工場労働者となった。人口が増え続けるなかで、労働者の居住環境整備はまったく追いつかず、住宅不足や過密化がおこり、疫病など衛生面での問題が多発した。1801-1901年の間でロンドンの人口は100万人から650万人に増加。

こうした状況をどうにかしようと、博愛的精神をもった企業化があらわれ「モデルヴィレッジ」の建設をはじめた。

「モデルヴィレッジ」とは、工場、居住施設(労働者のための)、商店などを併設した都市のこと。

ロバート・オウエンロバート・オーウェン
1771-1858
イギリスの社会改革家、実業家
空想社会主義者(ユートピアン)

ロバート・オーウェンは、環境決定論を主張し、初めて国際的な労働者保護を唱えた。

もとは労働者階級の出身だったが、ニューラナークの経営を義父から引き継いだことで資本家となった。労働者こそが企業発展のために基盤にあると考え、かれらの生活環境の整備ともに、教育にも力を注いだ。多くの新興企業家たちの規範となり、都市改革のきっかけをつくった人物。

ニューラナークNew Lanark
1783 スコットランド グラスゴー近郊
via New Lanark World Heritage Site

買収したニュー・ラナークの紡績工場をモデル工場に改造した。労働者の居住施設の改善と、いまでいう保育園兼小学校にあたる教育施設もあわせて建設した。

 

共同体の構想「ファランステール」

シャルル・フーリエシャルル・フーリエ
1772-1837
フランスの哲学者、倫理学者
社会思想家(ユートピアン)

1620人が共同生活をする「ファランステール」という農業共同体を構想した。1階は馬車の通路、2階は人の通行、その上階にアパートが計画されていた。近代都市計画の基本的な考え方である人車分離がすでに取り入れられていて、周辺には農園、作業所、 教会、劇場、学校などが配置されていた。

このアイディアは、のちにJ.B.ゴダンによって実際に建てられ「ファミリーステール」と呼ばれた。

ファランステール
La Phalange, journal de la science sociale découverte et constituée par Charles Fourier, Paris, 1836-1849.
ファミリーステール
Aménagements du pavillon central du Familistère de Guise en musée de site via frenak-jullien

 

近代都市計画「田園都市論」

エベネザー・ハワードエベネザー・ハワード
1850-1928
イギリスの社会改良家

近代都市計画の祖といわれる「田園都市論」の発想者。この都市計画論は各国で改良が加えられ、また応用され、20世紀の都市計画の一手法となっている。

ハワードの「三つの磁石」ダイアグラム
ハワードの「三つの磁石」ダイアグラム

「都市」「田園」「田園都市」の三つの磁石を図式化し、そのなかで「田園都市」がもっともすぐれているということを示したもの。

都市と田園、どちらか一方では理想的な都市とはいえず、この二項対立から離れ、二つの長所を統合した田園都市が人々をひきつけるという考え。

「田園都市」の全体図
「田園都市」の全体図 Diagram No.2 (Howard, Ebenezer, To-morrow.)

グリーンベルトに囲まれたエリアに、広場を中心とした放射状の道路と、環状道路からなる街路網をつくる。次にゾーニングによって、公共施設、住宅地、商業地、工場地、農地を配置する。ハワードは、この理論を経営的な側面からも具体的に検討した。開発に必要な費用は、株式の売買によって集めるという株式会社形式だった。それもあって、ただの理想で終わらず、きちんと実現にいたっている。それがレッチワース。

レッチワース 田園都市
1903 Letchworth Garden City [the first “Garden City”] Planned by [Sir] Raymond Unwin and Richard Barry Parker 1904
アンウィンのレッチワース
The sinews of the Parker and Unwin layout for Letchworth, the first Letchworth – the first Garden City garden city, stand out on this aerial photograph from 2009. source:Heritage Calling

レッチワースは「田園都市論」が実践された最初の都市。田園都市株式会社が設立され、ロンドンから約60km離れた郊外に土地を購入し、住宅地を開発していった。

 

「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」,1887

フェルディナンド・テンニエス(1855-1936)は、人間社会が近代化するにつれて、地縁や血縁、友情などの”情”で深く結びついた、自然発生的な共同体意識とは別に、利益や機能を優先し追求する機能体組織、利益社会が人為的に形成されていくと論じた。

産業革命によっておこる文化的な危機を、最初に読み解いたのはドイツの社会学者だった。

・ゲマインシャフト

農村社会の土着文化(共同体組織)

・ゲゼルシャフト

産業としの根無し草的な文明(利益社会)

 

アメリカの都市

<グリッド・システム>

アメリカで採用されたグリッド・システムは、パリのような記念性や象徴性はなく、土地の起伏も気にせずに適用されたものだが、グリッドを繰り返すだけで都市の拡大に対応可能な柔軟性の高い方法といえる。

SF’s urbanity via city-data

<オルムステッドの公園計画>

はじめて公式に「ランドスケープ・アーキテクト」を名乗った人物。

都市のなかに緑豊かな公園を建設することや、それらをグリーン・ベルトでつなぐ計画が盛んに行われた。ニューヨークのセントラル・パークはその初期の例。

国立公園をつくることは、国家が大自然を保護するという考え方を普及させた活動でもあり、その理念は世界各国に広まった。

フレデリック・ロー・オルムステッドフレデリック・ロー・オルムステッド
1822-1903
アメリカ合衆国の造園家、都市計画家

セントラル・パークセントラル・パーク
1857 NY マンハッタン
設計:フレデリック・ロー・オルムステッド、キャルバート・ボークス
via wikipedia
セントラル・パーク
Map of Central Park in New York City, from 1875. Scale is 1:7,500; north is to the top right.

 

トニー・ガルニエ「工業都市」計画案

トニー・ガルニエトニー・ガルニエ
1869-1948
フランスの都市計画家、建築家

トニー・ガルニエの工業都市
La Cite Industrielle (1917) Metallurgical Factory – View of Furnaces perspective Tony Garnier via penccil

エコール・デ・ボザールで教育を受けた、古典主義建築が得意な建築家。ローマに留学したガルニエは、古典建築ではなく都市計画に興味を持ち、はじめは歴史都市の研究をしていたが、のちに未来都市の計画へと対象がうつっていった。

ガルニエの工業都市は、鉄筋コンクリート造のみでできた未来都市で、人口は35000人ほどを想定したもの。プランは明確にゾーニングされ、鉄道、港湾施設、倉庫、工場、旧市街地、コミュニティ・センター、住居地域、病院等が、鉄道や道路で結ばれていた。

この構想は、リヨン市長に招かれて建築家になってから、いくつかの建築で実現された。

 

関連書籍

『路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史』,角山 栄 (編集), 川北 稔 (編集),平凡社,2001
『新訳 明日の田園都市』エベネザー・ハワード (著), 山形 浩生 (翻訳),鹿島出版会,2016
『ゲマインシャフト都市―南太平洋の都市人類学』,吉岡 政徳 (著),風響社,2016

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