新古典主義建築

新古典主義建築とは

18世紀の後期にフランスではじまった建築様式で、古代の建築を理想とするもの。

広い意味では、”古典を見直そう”といった動きで、装飾華美なバロック、ロココ様式に反発するようにはじまった。同時代のイギリス、ドイツ、アメリカまで波及している。絵画や音楽など幅広い芸術分野で主流となったムーブメント。

<リヴァイヴァル建築は、大きく二つの思想に分かれる>

・新古典主義

考古学的なデータにもとづき、古代の建築を理想とする。

・ゴシック・リヴァイヴァル はこちら→

自国の伝統の中に、建築のモデルを見出そうとする。

<ルネサンスとの違い>

古典建築を手本とするので、ルネサンス建築と似た動きだが、新古典主義は考古学的研究の成果に基づいて、より正確に古代建築を再現しようとした。

 

主なきっかけ2つ

1.古代遺跡の発掘と、それによる考古学的発見

1748年からポンペイ遺跡の発掘がはじまり、古代への関心が高まった。古代ギリシャ、ローマの美術全般についての研究が盛んに行われ、建築家は過去の様式を手本にそれらを再現しようとした。

2.フランス革命の前後にうまれた、合理主義的な建築観

合理主義とは人間の理性を信じること。人間が生まれながらにしてもつ理性(科学的、合理的な考え)によって、建築の美を再現しようとした。この合理主義的な建築観は、当時流行していた「啓蒙思想」(フランス革命の思想的基盤)の影響によるもの。

 

古代ローマを体現した、ピラネージの銅版画

ピラネージ
Ancient Temple, c.1743 ピラネージ

ピラネージは1740年にローマ教皇の支援を受けてローマを旅行し、古代ローマの遺跡を銅版画にした。彼の作品は多くの建築家の指標となった。

Roman ruins and sculpture ,c.1754 – c.1757 ジョバンニ・パオロ・パンニーニ

ピラネージと親交の深かった画家ジョバンニ・パオロ・パンニーニ。新古典主義に影響をあたえている。

18世紀半ばのローマで極めて重 要な役割を果たした画家です。ピラネージとも親交の深かったパニーニは、17世紀以来の古代遺跡や文物をモチーフとした景観画のジャンルを最も成熟させた画家。出典:国立西洋美術館

 

国べつの特徴

1.フランス

・ヴィジオネール(幻視家)
・アンピール様式(帝政様式) 1804ナポレオン帝位
・パリの都市改造計画 1853-1870

2.イギリス

・パラディオ主義
・ピクチャレスクと廃墟の美学

3.ドイツ

・グリーク・リヴァイヴァル

4.アメリカ

・フェデラル・スタイル(ヨーロッパ古典主義建築の模倣) 1776アメリカ独立宣言
・ボザール様式

 

1.フランス

<建築の原点回帰を求めた「建築試論」>

「建築試論」は装飾華美なロココを批判し、建築の原点回帰をうながす書だった。建築の原型と言われ、新古典主義のきっかけとなった理論書。

この本の著者であるロジェは、建築の原初的な形態をつきつめた結果、柱・梁・切妻屋根からなる簡素な小屋に到達した。背後にあったのはルソーの「自然に還れ」という思想だったが、啓蒙主義が目指していた科学的な論理とは程遠いものと評価された。

ロージエのプリミティブ・ハット
プリミティブ・ハット「建築試論」の扉絵,1755 フランス マルク=アントワーヌ・ロージエ

パリのパンテオン 新古典主義パンテオン(サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂)
1756 フランス パリ
設計:ジャック・ジェルメン・スフロ他
via wikipedia

フーコーの振り子フーコーの振り子
via wikipedia

<図面表記のはじまり>

三次元の物体を、二次元の用紙に図面として描く方法が体系化された。形、大きさ、位置関係が重要視され、表層的な色やテクスチャーなどはあまり関心が寄せられなかった。合理主義に基づく考え方で、より本質的な部分に目を向けている。

ガスパール・モンジュ
Geometrie descriptive,1799 ガスパール・モンジュ (フランスの数学者)

<メートル法の採用>

人類共通の物差し。これも合理主義的な考え方に基づくもの。

メートル法の採用
メートル法の採用 France,1801

<世界の古典主義建築に影響を与えた芸術学校>

建築の教育機関であるボザールで古典主義を教えたことによって、新古典主義建築が正当なものとして世界に広まっていった。

エコール・デ・ボザール
Palais des études of the École nationale supérieure des Beaux-Arts, Paris via wikipedia

 

ヴィジオネール(幻視家)

<フランス革命期の幻視の建築家>

20世紀半ばに出版された、エミール・カウフマン『三人の革命的建築家 ブレ、ルドゥー、ルクー』という本のなかで、フランス革命期の3人の建築家は「ヴィジオネール=幻視家」としてくくられ、それ以後、注目されるようになった。

彼らは、幾何学をもちいた造形表現で、装飾は控えめ、合理的・科学的な建築を目指した。この思想は、長い年月をかけてコルビジェらを代表とするモダニズム建築へ繋がっていく。本質的で普遍的要素をもった建築こそが「真の建築」である、という考え。

同時代に流行していた啓蒙思想の影響を強く受けているとされるが、カウフマンによる「理性の時代」に基づく建築、という認識は一面的であるとの指摘もされている。同時代には、フリーメイソンなどの神秘主義的傾向や、サドの「悪徳」こそが人間に備わった自然的本性だ、という思想もあり、その視点を取りこぼしているため。

クロード・ニコラ・ルドゥークロード・ニコラ・ルドゥー
1736-1806
フランス革命期の建築家(幻視家)

ルドゥーはルイ15世の治世下で製塩所の監視官という職を経て、王室のおかかえ建築家となった。フランス革命と同時期には体制側に捕らえられ、「国王の建築家」としての職を失う。その後、実作には恵まれなかったが、ユートピア思想を表現した銅版画を数多く残した。

晩年に刊行された自身の作品集、「建築論」(1804)のなかでは、「ショーの理想都市」という産業ユートピア都市が構想されている。

アル=ケ=スナンの王立製塩所アル=ケ=スナンの王立製塩所
1773-1779 フランス東部
設計:クロード・ニコラ・ルドゥー
via wikipedia

ルイ15-16世の時代に、王立製塩所としてたてられた。当時、塩は国税徴収源だったため、貴重な資源として扱われていた。ルドゥーはフランス東部の様々な製塩所を検視しており、能率的な工場を思索していた。そんななかでルイ15世から設計依頼を受けた。労働と産業の場としての役割を軸に考えられ、都市計画まで視野に入れたものだった。

ルドゥーの耕作の番人のための家耕作の番人のための家 ,1780
設計:クロード・ニコラ・ルドゥー

ブーレーのニュートン記念堂ニュートン記念堂
1784 フランス パリ
設計:エティエンヌ・ルイ・ブーレー

ラ・ヴィレットの関門ラ・ヴィレットの関門
1784-89 フランス パリ
設計:クロード・ニコラ・ルドゥー
via wikipedia

ショーの理想都市
「ショーの理想都市」,1804 Claude-Nicolas Ledoux Die Salinenstadt Chaux

 

アンピール様式(帝政様式)

<ナポレオンが夢みた「新ローマ」>

アンピール様式とは、1804-14ナポレオンの帝位をきっかけに流行した新古典主義的な装飾様式で、ネーミングはアンピール=帝政からとっている。古代ローマ、ギリシャ、エジプトなどを装飾のモチーフとしたスタイル。

ナポレオン1世は、パリを「新しいローマ」として世界一の首都にするため、街中を記念建造物で埋め尽くそうとした。凱旋門はそのひとつで、新古典主義建築の代表作となっている。

ナポレオン・ボナパルトナポレオン・ボナパルト(皇帝ナポレオン1世)
1769-1821
革命期のフランスの軍人・政治家

 エトワール凱旋門エトワール凱旋門
1806-36 フランス パリ
設計:J.F.TH.シャルグラン他
via wikipedia

マドレーヌ寺院マドレーヌ寺院
1842 フランス パリ
via wikipedia

 

パリの都市改造計画

<パリの劣悪な都市環境>

1850年代、パリの都市環境は最悪だった。暗く狭い通りに人口増加によるスラム街の発生、動物の放し飼い、ゴミは道端に適当に投げ捨てられるなど、街には悪臭が漂っていた。オープンスペースはほとんどなく、市全体の公共公園は2つしかなかった。

第二帝政時の19世紀、セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンは、フランス最大の都市整備事業に取り組む。

この改造計画には、スクラップアンドビルドという手法が取り入れられ、計画地にある建物を強制的に取り壊し、大胆に都市整備がおこなわれた。この計画によって経済は活性化され、反政府勢力を助けていた複雑な路地もなくなり、反乱が起こりづらくなった。

一連の改造計画は「オスマン化」と称され、フランス以外の各地の都市計画の手本になった。

 

2.イギリス

<グランド・ツアーの流行>

17世紀末から18世紀、イギリスでは裕福な貴族の子弟のあいだで「グランド・ツアー」というヨーロッパ旅行が流行った。ローマを中心に周遊し、そこで古代の文化を学んだ。

パラディオ主義の主要人物だった第3代バーリントン伯爵も、1714-1719年のあいだにグランド・ツアーに参加し古代ローマに対する見識を深めた。

British-Connaisseurs

パラディオ主義

<パラディオ建築の復興>

パラディオ主義とは、ルネサンス期の建築家アンドレーア・パラディオの「建築四書」から直接影響を受けた建築スタイルで、タリアに遊学していたイニゴ・ジョーンズと、バーリントン卿によってイギリスに広まった。

なかでも代表作のチズウィック・ハウスは、パラディオが設計した「ヴィラ・ロトンダ」を写したデザインといわれる。

設計者のバーリントンは、イギリスのパラーディオ主義の中心人物で、パトロンでもあり自ら設計もおこなっていた。

チズウィック・ハウスチズウィック・ハウス
1725-30 イギリス、西ロンドンのチジック、バーリントン通り
設計:第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル

Villa Rotondaヴィラ・ロトンダ Villa Rotonda
via wikipedia

PalladioRotondaPlan
Palladio Rotonda Plan,1570

ルネサンス期に完成した「ヴィラ・カプラ」は、後世になって多くの建築に影響を与えることとなった。ヴィラ自体は古代ローマのパンテオンを手本に設計されている。

ロイヤル・クレセントロイヤル・クレセント
1767-71 イギリス バース
設計:ジョン・ウッド(親子)
via wikipedia

<イギリスに新古典主義を広めた人物>

パラディオ主義をベースとしつつ、独自のスタイルを確立した。とくに、インテリアデザイン(室内装飾)に才能を発揮し、ピラネージとも親交があった。

ロバート・アダムロバート・アダム
1728-1792
イギリスの建築家

 

ロバート・アダムのサイアンハウスサイアン・ハウス「控えの間」
1769 イギリス ロンドン
内装:ロバート・アダム
© SyonHouse

ジュリアン・ダヴィッド・ル・ロワの図集を参考にしながらギリシア建築の装飾を引用してるが、室内の至るところにローマ浴場からの参照がみてとれる。

ケドレストン・ホール マーブル・ホールケドレストン・ホール(マーブル・ホール)
1770 イギリス ダービーシャー ケドレストン
設計: ロバート・アダム他
© David Dixon

Various Roman Ionic capitals compared with Greek examples, from Julien-David Le Roy’s Les ruines des plus beaux monuments de la Grèce (1758) via designspeculum

 

ピクチャレスクと廃墟の美学

<風景画の影響>

新古典主義が主流となる一方で、イギリスではそれに反発するように、風景画を思わせる絵画のような造形を趣向する「ピクチャレスク」という手法があらわれた。18世紀後期から19世紀初期にかけて、とくに造園分野を中心に展開したが、のちに建築や都市構成にも取り入れられるようになった。

「ピクチャレスク」とは美の概念の一種であり、ウィリアム・ギルピンが1782年に刊行した著書『主としてピクチャレスク美に関してワイ川および南ウェールズの幾つかの地形その他の1770年夏になされた観察』を通して広く伝えられたもの。

それ以前にあった、クロード・ロラン、ニコラ・プッサンらの風景画が影響を与えている。

<ロマン主義の台頭>

同時期のヨーロッパでは、古典主義に反するかたちでロマン主義が台頭しており、それまでの理性重視、合理主義などの考え方ではなく、感性や主観を重視する思想が支持されはじめていた。恋愛賛美、民族意識の高まり、中世への憧れ、といった特徴をもつ。

こういった中世に理想を求める思想は、キリスト教の復興運動や、国家主義思想もあわさって「ゴシック・リヴァイヴァル」へとつながった。

クロード・ロラン
The Embarkation of the Queen of Sheba,1648 Claude Lorrain

<ピクチャレスク運動の主要人物>

ジョン・ナッシュは、ロンドンでは当時唯一の宮廷都市計画家(=サーベイヤー)だった。王室所有地の開発プロジェクトであるリージェントストリートや、リージェンツパーク周りのキッチュな建物など、今のイギリスのメインストリートをつくった建築家。

ジョン・ナッシュジョン・ナッシュ
1752-1835
イギリスの建築家
英王ジョージ4世の宮廷サーベイヤー

 

ロイヤル・パビリオンロイヤル・パビリオン
1822頃改修 イギリス ブライトン
設計:ジョン・ナッシュ
via wikipedia

Brighton Banqueting Room Nash edited

ジョン・ナッシュのリージェント・パークリージェント・パークのカンバーランドテラス
1827 イギリス ロンドン
設計:ジョン・ナッシュ
via wikipedia

ジョン・ナッシュのバッキンガムパレスバッキンガムパレス
1825-37 イギリス ロンドン
改築設計:ジョン・ナッシュ
via wikipedia

ジョン・ソーンジョン・ソーン
1753-1837
イギリスの新古典主義の建築家

ジョン・ソーンズ美術館ジョン・ソーン自邸(現サー・ジョン・ソーンズ美術館)
1824 イギリス ロンドン
設計:ジョン・ソーン

Joseph Gandy, Soane’s Bank of England as a ruin, 1830, Soane Museum London

 

3.ドイツ

<グリーク・リヴァイヴァル>

18世紀中頃以降、考古学によって、ローマ建築よりギリシア建築の方が純粋性が高いという理解が広まり、やがてイギリスとドイツはギリシア建築を復興する方向に進んだ。

カール・フリードリヒ・シンケルカール・フリードリヒ・シンケル
1781-1841
ドイツの建築家

シンケルのアルテス・ムゼウムアルテス・ムゼウム(旧博物館)
1830 ドイツ ベルリン
設計:カール・フリードリヒ・シンケル

古典を再現するだけでなく、ペディメントをなくして長方形のファサードにしている。幾何学的に整理されたデザインで、モダニズムを予感させる。

ヴァルハラ神殿ヴァルハラ神殿
1830-1842 ドイツバイエルン レーゲンスブルク
構想:バイエルン王国の皇太子ルートヴィヒ1世
設計:レオ・フォン・クレンツェ
via wikipedia

<イギリスのグリーク・リヴァイヴァル>

大英博物館大英博物館
1847 イギリス ロンドン
設計:ロバート・スマーク他
via wikipedia

 

4.アメリカ

<フェデラル・スタイル(連邦様式)>

1776年独立宣言がなされ、アメリカ大陸に新国家がうまれた。新開地のアメリカでは、独自の文化が発達していなかったため、ヨーロッパの建築文化をそのまま取り入れることになり、都市内の公共施設はフランスの新古典主義様式で建てられた。

南北戦争(1861-65)直後におきた都市の建設ラッシュでも、依然として新古典主義の建築が好まれた。

トーマス・ジェファーソン ヴァージニア州 議事堂ヴァージニア州 議事堂
1798 USA リッチモンド
設計:トーマス・ジェファーソン
via wikipedia

フランス ニームのメゾン・カレをモデルに、第3代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンが設計した新古典主義の建築。フランス在勤中に、ボザール流の建築を学んでいる。

<ボザール様式>

パリにあるフランス国立美術学校エコール・デ・ボザールで建築を学んだアメリカ人が、卒業後、自国でそのデザインスタイルを実現したもの。ギリシヤ、ヨーロッパの古典様式が使われている。

コロンビア大学 ロウ図書館コロンビア大学 ロウ図書館
1902 NY
設計:マッキン・ミード・ホワイト事務所
via wikipedia

リンカーン記念堂1914-1922 ワシントンD.C.
設計:ヘンリー・ベーコン
via wikipedia

 

関連書籍

『啓蒙の世紀と文明観 (世界史リブレット) 』,弓削尚子,山川出版社,2004
『フランス革命―歴史における劇薬』,遅塚忠躬,岩波書店,1997
『ルドゥーからル・コルビュジエまで―自律的建築の起源と展開』エミール カウフマン (著),白井 秀和 (翻訳),中央公論美術出版,1992
『パリ大改造―オースマンの業績 (The Cities=New illustrated series) 』,ハワード サールマン (著), 小沢 明 (翻訳) ,井上書院,2011
『建築ガイドブック パッラーディオ』Caroline Constant (著), 福田 晴虔 (翻訳),丸善,2008
『都市の解剖学―建築/身体の剥離・斬首・腐爛』,小澤 京子 (著), 田中 純,ありな書房,2011

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