ユーゲント・シュティール

ユーゲント・シュティールとは

アール・ヌーヴォーのドイツ語圏(ドイツ・オーストリアなど)での呼び方で、文芸雑誌の名にちなんでつけられた。ユーゲントは青春の意味で、「青春様式」ともよばれる。

ユーゲント・シュティールの理論的指導者はアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ。

理念は「構成と装飾の一致」で、芸術と実用の融合を目指した。

フランスのアール・ヌーヴォーに比べると、合理性重視の傾向が強い。その場限りの特別性を尊重したデザインで、装飾過多、貴族主義であると批判されることもあった。

日本の浮世絵、フランスの後期印象派、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動から影響を受けている。

ユーゲント雑誌「ユーゲント」の表紙,1896

<数カ所の中心都市>

1896 雑誌「ユーゲント・シュティール」がミュンヘンで初出版
1898 ウィーン分離派の結成、その展覧会場「ゼツェッション館」が完成
1899 大公の援助でダルムシュタット「芸術家村」開設
1901 第1回、10棟の建物を含めた、数多くの工芸品が出展された展覧会
1903 分離派から脱退したメンバーが「ウィーン工房」設立
1907 ムテジウスを中心として「ドイツ工作連盟」結成
1906 ヴァイマールには、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが芸術顧問として招待され、1906-14年にかけて工芸学校の校長を務めた。

 

ダルムシュタット芸術家村

ダルムシュタット
Mathildenhöhe Darmstadt. Aerial photo, 2013. Image: Ingo E. Fischer © Bildarchiv Foto Marburg

ダルムシュタット芸術家村
1899 ドイツ ダルムシュタット マチルダの丘
設計:ヨゼフ・マリア ・オルブリッヒ他

ダルムシュタット
Mathildenhöhe Darmstadt. View with Wedding Tower and Exhibition Hall, 2013. Image: Ingo E. Fischer © Bildarchiv Foto Marburg

ダルムシュタット芸術家村は、ヘッセン大公の結婚を記念して建てた記念塔と芸術家たちの作品展示場。

19世紀末、ヘッセン・ダルムシュタット公国の大公エルンスト・ルードヴィッヒが芸術家を呼びよせ、芸術家村をつくらせた。ウィーンから招かれたオルブリッヒが総責任者として指名され、ほとんどの建物と環境整備を担当した。そのときのオルブリッヒはよそもの扱いで、役所や政治家、評論家などから批判を受け心労が絶えなかったそう。

エルンスト・ルートヴィヒ ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒ
1868-1937
ヘッセン大公国の第5代大公

政治的な野心がなく、生涯を通じて芸術の後援者だった。詩人、劇作家、エッセイストでもあった。同性愛者だった。

ヨゼフ・マリア・オルブリッヒヨゼフ・マリア・オルブリッヒ
1867-1908(満40歳没)
オーストリアの建築家

エルンスト・ルードウィッヒ邸エルンスト・ルードウィッヒ邸
1901 ドイツ ヘッセン州 ダルムシュタット
設計:ヨゼフ・マリア ・オルブリッヒ
via euroArt

ペーター・ベーレンスペーター・ベーレンス邸
1901 ドイツ ヘッセン州 ダルムシュタット
設計:ペーター・ベーレンス
via archidaily

 

関連書籍

『ドイツにおける「日本=像」―ユーゲントシュティールからバウハウスまで』,クラウディア デランク  (著), Claudia Delank (原著), 水藤 龍彦 (翻訳), 池田 祐子 (翻訳),思文閣出版,2004

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