オランダ構造主義

構造主義とは

1960年代のフランスに生まれた現代思想。

システムに焦点をあてた考え方で、同時代に活躍していたサルトルの実存主義(理性、主体性重視)に批判的な立場をとったのが特徴。

近代ヨーロッパの理性主義全般を乗り越えようとするものだった。イデオロギーの一種ではなく、方法論であり、現在さまざまな分野で応用されている。

また、未開の地を研究対象とし、それを利用しようとする見方から、ヨーロッパ中心主義的としてデリダは批判した。相対化による二元論的な考え方から脱却することを指摘し、それがポスト構造主義につながる。

構造主義の流行は、1968年の五月革命とともに終息していった。

レヴィ=ストロースレヴィ=ストロース
1908-2009(満100歳没)
ベルギー出身、フランスの社会人類学者、民族学者
via geneanet

レヴィストロースは、西欧から世界を見る視点しかもたなかった西欧の形而上学に対して、「野生の思考」を著して西欧の知そのものを相対化(構造化)した。これらの新しい知の最前線に共通していえることは、二元論に代表される西欧の形而上学の自己批判である。出典KISHO KUROKAWA

 

オランダ構造主義を牽引した人物

アルド・ファン・アイクアルド・ファン・アイク
1918-1999(満80歳没)
オランダ人建築家、都市計画家、建築思想家

オランダ構造主義は、1950年代の末期にアムステルダムで成立した建築の傾向。CIAMに代表されるモダニズム建築に対して批判的な立場をとり、新しい建築や都市のあり方を探った。

このムーブメントの中心になったのがアルド・ファン・エイク。エイクはCIAM解散後に結成されたチームXの主要人物。

デカルト座標的なXYZ軸のなかで数字を規定して均質な空間をつくるより、自分の場を中心におき、その周辺と境界を意識した考え方が重要であるとした。あいまいさや両義性などの特徴が挙げられる。機能主義によりすぎたモダニズム建築の反動。

プエブロの集落を規範としていたことから、人間の根源的な部分に目を向けていて、部分の変化から全体へといった傾向がある。

生命の新陳代謝をコンセプトにした「メタボリズム」とも関連がある。

プエブロ・インディアンの集落
Hlaauma (North House), Taos Pueblo, NM via wikipedia

 

キーワードは「中間領域」

<相互補完的な場としての中間領域>

「in between space(中間領域)」「threshold(閾)」

エイクは、スミッソン夫妻の提案(CIAM会議,1953)の中で使われた”doorstep”という言葉からからインスピレーションを受け、中間領域という概念を大成させた。もとは「住居」と「街路」を結ぶ中間領域としての考え方だが、それを拡大解釈してプランの主軸にした。

<キーワード>

対になる現象のあいだに設けるスペースとしての中間領域、グラデーション的、あいまいな空間

部分と全体、内側と外側、個と集合、フラクタル、入れこ

 

オランダの特殊な土地環境

<干拓地(ポルダー)>

オランダはもともとライン川河口の沼地だった。地耐力はゼロに近い特殊な土地環境で、そこを人工的に整備し定住地としている。

国土の約4分の1は海抜0m以下であり、洪水が起きないように干拓地(ポルダー)をつくり、インフラシステムを整えてきた歴史がある。

How a polder works via hum300

約1000年前は堤防がなかったので、海水が入って引いてが繰り返されていた。そういった自然環境からオランダ人は境界に意識的だったともいえる。その後、マウント型の盛土がつくられ徐々に社会的な秩序ができ、小さな単位の境界がうまれていった。

 

アムステルダム、ロッテルダムで大きな都市計画を担った人物

ファン・エーステレンコーネリアス・ファン・エーステレン(右)
1897-1988
オランダを代表する都市計画家、建築家
via vaneesterenmuseum

タイポグラフィやインフォグラフィクスなど、都市を記述するために新しい二次元的空間表現をためした。専門家だけでなく一般の人が参加できるよう、明快さを重要視した。分かりやすく伝える手段として、タイポグラフィ的な手法を使い「見える」化した。

二次元的に伝えるという手法は、コールハース、OMAのドローイングにも影響を与えている。

C. van Eesteren en Th. K. van Lohuizen. Algemeen Uitbreidingsplan Amsterdam, 1934. Collectie NAi, EEST 1-84

 

おもな建築

孤児院「子供の家」
1960 オランダ アムステルダム
設計:アルド・ファン・アイク
via archidaily

クレラー・ミュラー美術館 Sculpture Gardenクレラー・ミュラー美術館 Sculpture Garden
1966 オランダ ヘルダーラント州 エーデ
設計:アルド・ファン・アイク
via bluffton

クレラー・ミュラー美術館 Sculpture Garden
Sculpture Pavilion, Sonsbeek Exhibition Aldo van Eyck via hicarquitectura

Roman Catholic Church
1969 オランダ デンハーグ
設計:アルド・ファン・アイク
via arch1101

ハーグのカトリック教会

 

 

母の家母の家
1978 オランダ アムステルダム
設計:アルド・ファン・アイク
via skyscrapercity

 

ヘルマン・ヘルツベルハーヘルマン・ヘルツベルハー
1932-(84歳)
オランダ アムステルダムの建築家
via digitaleetalages

matchboxes

matchboxes「住居の外部への延長はバルコニーによって形成される」
via schatkamer

Montessori school, DelftMontessori school Delft
1960–66 オランダ デルフト
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー

via architectureandeducation

Centraal Beheer office building, ApeldoornCentraal Beheer office building, Apeldoorn
1970-72
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー
via centraalbeheeroffices

フレデンブルグ音楽センターフレデンブルグ音楽センター
1973-78 オランダ ユトレヒト
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー
via ahh

MUZIEKCENTRUM VREDENBURG, UTRECHT

 

YKK dormitory, KurobeYKK dormitory, Kurobe
1991-98 富山県 黒部市
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー
via ahh

Romanina Elementary School, Rome
2005-2012
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー
via divisare

Tivoli Vredenburg, UtrechtTivoli Vredenburg, Utrecht
2003-14 オランダ ユトレヒト
設計:ヘルマン・ヘルツベルハー
via bouwpututrecht

 

関連書籍

『Dutch Architecture in 250 Highlights: Preserved by the Netherlands Architecture Institute』,Hetty Berens (著), Ole Bouman (著), Behrang Mousavi (著), Suzanne Mulder (著), & 1 その他,Nai Uitgevers Pub,2013
『レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー) 』,クロード レヴィ=ストロース (著), Claude L´evi‐Strauss (原著), 川田 順造 (翻訳), & 1 その他,平凡社,2005
『オランダ (中央大学学術図書93)』,ヤコブ・フォッセスタイン (著), 谷下 雅義 (編集),中央大学出版部,2017

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